翔ぶが如くの旅②

レンタカーを借りたところでした。

12時予約だったのですが移動に時間がかかって着いたのは1:30過ぎ。いざ乗車。ひたすらナビに従い田原坂に向かいます。ドキドキ。

ここで少し地理をご案内。字が小さくてごめんなさい・・・。
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歴史的背景も少し。

薩軍の大義は、西郷暗殺を企てた政府軍大久保利通に会い、真偽を問いただすこと。だから東京へ行く予定だったのですが、熊本城で戦闘になり、しかも苦戦を強いられて薩軍の計算が狂い始めるのです。熊本城なんて捨てれば良かったものを固執したばっかりに、政府軍に九州征伐の準備時間を与えてしまうことにもなったのでした。

田原坂は、熊本城へ行く上で重要道路。大砲や物資を運べるのはここだけだったのです。政府軍はどうしてもここを通って熊本城を助けに行かなければなりません。田原坂が激戦地になったのはこのような理由からです。官軍は左上から南下、薩軍はそれを食い止めねばなりません。
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着きましたー!田原坂!今は綺麗に整備された公園になっています。この時も職員が草刈りをしていました。
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馬に乗って戦う美少年像。薩軍、村田新八の19歳の息子、「岩熊」と言われています。岩熊は西南戦争直前まで米国留学をしていた逸材。帰国直後に開戦となり父と共に薩軍に従軍。19歳と言う若さで、ここ田原坂にて命を落としました。
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まずは資料館に行きます。途中にあったこの文字。田原坂での戦闘はほとんど雨の中、17日間に及び、両軍合わせて4000人を越す、この内戦で最も多い戦死者を出しました。周辺は死屍累々、血の海だったそうです。
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対面の山に官軍陣営がありました。そこから砲弾が撃ち込まれたそうです。
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西南戦争 崇列碑。後ろの黒い壁面には両軍の戦死者の名前、16000余名の名前が刻まれています。
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官軍は北海道からも従軍されてた方がいるのですね。合掌。
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資料館。300円です。展示品はそれほど多くないですね。
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とうとう田原坂を歩きます。三の坂。
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途中この石を見つけました。不自然に空いてる凹凸。これって弾痕ですかね?
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二ノ坂
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ここで容量超えちゃいました・・・。続きは明日です!




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