翔ぶが如くの旅⑤

人吉からでした。人吉は代々相良さまの城下町。人吉城はもう西南戦争で焼けて何もありませんが石垣だけは残っています。

さて、西南戦争時、西郷隆盛が泊まったと云う武家屋敷へ(これは再建されたものです)。
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入場料は300円。誰もおらずピンポーンピンポーん何度も呼ぶがまだ来ず。電話してようやくおじさん来てくれました。自由見学かと思ったら、いろいろ説明してくれる。これまた面白い。もう少しゆっくり説明してくれたらもっと良かったけど・・・笑。

この武家屋敷の門「堀合門」。元は人吉城のものだそうで、廃藩置県で城をとり壊す際に相良のお殿様から、この新宮家に譲渡されたとの事。新宮簡(たけま)氏の時代。一枚板だそうです。すごいね。
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新宮簡(たけま)は、政府のお役人。ですが、息子(新宮嘉善)は人吉に住んでいたため、薩軍に付きました。父が官軍側にいることで、薩軍に疑われないよう嘉善は自宅を西郷の宿泊場所に提供したのでは?と言われているそうです。
また、人吉総攻撃の前日、父の簡から「降伏せよ」と手紙が来るのですが、息子の嘉善は「仲間を裏切ることは出来ない」と拒否。攻撃当日、簡の第一砲は自宅 新宮家だったと言います。父子相討ちとなる悲話はここで初めて知りました。これが戦争ですね。

これは資料館から貰った新宮父子の漫画です。
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この武家屋敷、柱が一本逆に使われてて、これは
「物事は完成すると後は壊れる(終わるだけ)だけ。なのであえて『未完成』の状態にする。人間も同じ、権力を持ったものは必ず悪い事をする、腐る」
と館長さん。その通りです。


西郷どんと人吉
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史跡はたくさんあるんだけど半分も見れなかった。来年は人吉に泊まってゆっくり回ります。
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熊本に帰りましょう。するとSLが入ってきました
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名物「栗弁」。いつだったか高橋英樹とまあさ父子の旅番組でこれを食べてて、食べたいなぁと思ってたんです。空腹じゃなかったけど食べちゃいました。美味しかったですよ、栗も大きいし。

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今回は観光列車でなく、普通電車で八代まで出ました。八代は八代亜紀ですが(笑)、畳生産日本一だそうです。


八代での目的は、熊本協同隊・宮崎八郎の戦没碑。駅から10分ほどです。
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人吉から八代に注ぐ球磨川です。ここも西南戦争激戦地です。
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宮崎八郎戦没の碑。司馬遼太郎が書いています。そして綺麗に手入れされていました。民権論を日本に広める前に散ってしまった八郎ですが、弟たちはそんな兄を尊敬し自由民権運動に身を捧げました。末弟 宮崎滔天は、生き残りから聞いた話を「熊本協同隊」という本にしています。読みたい
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・・・・ここでまた容量がマックス到達。また明日・・・



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